可能性についてのお話

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1990年、LAに暮らす無一文のコメディアン、

28歳の青年ジム・キャリーは、ある決断をしました。

自分宛に小切手をきることにしたのです。


その額なんと、1000万ドル。

 

「自分に宛てて1000万ドルの小切手を書いたんだ。

「演劇料として」ってね。

 

 

日付は5年後、1995年の感謝祭の日にしたよ。

それを財布に入れて、いつも持ち歩いていたからすごくボロボロになっちゃったけどね…」
くる年もくる年も、ジムは小切手を持ち歩き、自分自身に支払う費用を工面すべく努力しました。

 

 

 

そして4年が経った頃、
32歳になったジム・キャリーは
映画「エースベンチュラ」で
初の主演の座を射止め、
続いて「マスク」「ジム・キャリーはMr.ダマー」
で次々に主役を務めることになったのです。

ジムは当時を振り返り次のように語っています。

「ちょうど1995年の感謝祭まであと少しって時に、
映画「ジム・キャリーはMr.ダマー」の主演で
自分がまさに1000万ドルを稼ぎだそう
としてるってことに気づいたんだ。」

 

 

このストーリーの始まりは、ジムの幼少時代に遡ります。

 

 

 

ジムが12歳の時、彼の父親は
会計の職とともに家を失いました。

「僕の父親は51歳で失業したんだ。
本当に驚いたよ。

本当に、精神的にも大打撃を受けた。
しばらくは車を家替わりにして暮らして、
家族みんなが警備員や清掃員をして必死に働いたんだ。」

ジムは放課後に工場で一日8時間もの
労働をせざるを得なくなり、
オールAの優等生だった彼は
いつの間にか友達への興味すら失い
友達なんていらないとすら考えるような子どもになっていました。

貧困状態は何年も続き、加えて、
彼にとって何にも代えがたい大事なもの
ー家族ーまで失ってしまうんじゃないか
という不安が常に付きまとっていました。

 

 

 

「僕の両親はヘビースモーカーで。
いつだったか、僕がひとりバスルームに
籠って泣いたこともあった。

両親が死んでしまうんじゃないかって怖くなってね。
両親はバスルームのドアをたたいて、
出てきなさいって呼んでいたけれど。」

「7歳のころ、夕食の席でよく母親が

“脳みそが信じられない勢いで衰えてく気がする!”

とか

“狭心症が悪化してる気がする。私はもう長くないかも!”

とか、そういう事を言うもんだから、
その度に本当にそうなるんじゃないかって不安になったんだ。」

ジムは、そうした暗い時期をユーモアのセンスで乗り越えました。

どうして面白くなりたかったのですか?
という質問に彼は次のように答えました。

「鬱になってしまいそうな状態だったから、かな。
僕の母親は病気で、彼女を少しでも元気づけたかったんだ。」

15歳の時、トロントのYuk Yuk’ Clubで
彼は初めてコメディアンのステージに立ちます。

会場へは父親が車で送り届けてくれました。

しかし、母親が作ってくれた黄色いスーツを
着て挑んだ初舞台は、大失敗に終わりました。

それでも父親はジムを励まし続け、
その甲斐あってジムは16歳で退学すると、
19歳で夢を追ってハリウッドに移り住んだのです。

ジムが自分に宛てて冒頭の小切手を書いたのは
ここから10年後、俳優としていまだ伸び悩んでいる時期でした。

小切手をポケットに入れて持ち歩くようになってから4年後、
1994年に彼の父親が亡くなりました。

葬儀の際、父親の棺に小切手をそっと滑り込ませ、
自分の夢を最後まで信じて応援してくれた父親に感謝をしました。

ジムが大成功を納め1000万ドルを手にしたのは、
それから一年後のことです。

以来、彼の出演する映画が総収益100万ドルを下ることはありません。

あなたの過去にも辛いことがあったかもしれません。
でも、過去がどうであったとしても、
今、自分の未来のために何をしますか?

自分の未来のために「絶対こうする!」と
自分自身と約束するとしたら、それは何ですか?

もしあなたが5年後の自分に宛てて
小切手を書くとしたら(2021年です!)
いくらの小切手を書きますか?

そして小切手の名目は何にしますか?

どうなるためにあなたの人生をどう使いたいですか?

量から質に意識を向けて考えてみてください。

そして、将来あなたは世界にどんな影響力を持つようになってるでしょうか?

「挑戦する余地があるなら不可能とは言わない」
(スタートレック、ジャン=リュック・ピカード艦長の名言)

明確なビジョンを描いたら、行動に移しましょう!