天才性を発揮する方法

あなたは天才性を発揮したいですか?

 

私は、マジでありがたい事に
発揮させていただいています。

しかし、多くの人は自身の天才性を
発揮できずにいます。

なぜか?

これはあなたが悪いわけではありません。

ただ、いろいろな縁起が天才性を
押し殺すようにできているだけです。

 

つまり、多くの人は自分の天才性を
発揮するための「具体的な方法」
全く教えられずに育っています。

むしろ逆に天才性を発揮しないようにと
社会から教え込まれてきているのです。

どういうことか?

順を追って説明していきます。

 

 

●あなたの天才性=呼吸のようにできること

まず最初に天才性(才能)とは、、、

「呼吸のように自然にやってしまっていること」

です。

 

ですので、多くの人が実は既に
天才性を発揮しているのに..

「発揮できてない!」

と、思い込んでいるというケースがあります。

「私は、天才性を発揮できている!」

と、感じられる事はあまりありません。

むしろ、

「え?コレの何がスゴイの??」

と、感じるところに天才性があります。

 

つまり、天才性なんて探す必要はなく、

「既に発揮されている前提で観察する」

これが重要になってきます。

才能や天才性を探そうしている時の
私たちの前提は。。。

「才能が発揮されてない可能性がある!」

という前提です。

ですので、天才性を発揮する最初の一歩は。。。

「既に天才であると認める」
(実は既に発揮されていると認める)

ことだったりします。

 

・・・

例えば、私の場合は、、、

「物事を独特な角度で見る(考える)」

とか、、、

「何かと何かをつなげる事」

です。

これは本当に自然とやっています。

逆に、

「企画を考える」
「演出を考える」
「精密なロジックを組む」

ということは得意ではありません。

 

むしろ、やろうと思えばできます。

そして、それが出来た時には、、、

「オレって才能あるんじゃん!?」

と、思ってしまいます。

 

しかし、真の天才性(才能)であれば、
あまりこのような感情にはなりません。

なぜなら、本氣で当たり前だからです。

 

・・・

最近、本当に企画や演出が得意
(というかマジで大好き)な人物と
お仕事をさせていただいています。

そこで思うのは、

「ああ、自分はコレ得意じゃなかったな」

ってことです。

 

ある程度努力で私たちは
いろんなことができます。

※才能を発揮するにも努力は要るしねwww

故に他人と比較しない限り、
自分の天才性を発見するのは
簡単ではないと言えるのです。

そして、それが才能を発見しづらくする
次の「罠」につながってくるのです。

 

 

 

●「ポンコツさを受け入れる」(才能は弱みから発生する)

これまでお話したとおり才能というのは、
自分にとっては当たり前すぎることです。

どちらかというと他人の得意
(つまり自分の苦手)の方が
目についてしまうものです。

だからこそ、私たちはその欠陥を
補おうと努力をしてしまいます。

 

しかし、、、

「天才性は「弱みの裏返し」です」

ですので、欠点を補完しようとすればするほどに
私たちは天才性も同時に押し殺していきます。

学校教育では苦手科目の克服を
重要視されています。

 

そういった環境で育っているので、、、

「自分のできないこと=ダメなところ」

と、ラベルを貼り付けてしまいがち、
故にただでさえ氣がつかない才能を
より弱くしてしまうので天才性の発見が
更に、更に簡単ではなくなってしまいます。

 

・・・・

そして、このポンコツさを受け入れる時にも
受け入れるレベルというものがあります。

例えば、

「自分は計算が苦手なのは、
 こういう背景があって
 こういう環境で育ったから」

というように同情し苦手に
納得するのがステージ1。

この段階ではポンコツさを認めてはいますが、
ポンコツさの克服に未練がタラタラな状態です。

故に、自らのポンコツ性に執着するので、
ポンコツをポンコツと認めていません。

ただし、最初の一歩としては重要で、
まずポンコツさに同情する。

つまり、

「ポンコツでも大丈夫」

というのが、ステージ1ということです。

 

さらに次のステージに至ると、、、

「ポンコツな自分がウケる(笑える)」

という段階に入っていきます。

これはポンコツさをユーモアで
受け入れている段階になります。

それでもポンコツさの克服への
執着がまだ残っている状態です。

 

そしてポンコツさをさらに受け入れると、

「ポンコツなままが天才!」

というステージに入ります。

ポンコツをポンコツなままで
同情もせず、ダメ!と知っていて
なおかつ、愛せるレベルです。

ポンコツな部分はダメと受け入れつつ
それのメリットも見えている状態です。

この状態になると苦手なことが
スゴイことになります。

 

ひとつ例え話をしましょう。

猫が1+1を計算したら、、どう感じますか?

「え?なにそれ?スゴイ!」

ってなりませんかね?

できないことを受け入れているし、
むしろ出来ないのが当たり前なんで
出来たら「奇跡」と思うレベルです。

猫に計算くらい出来るっしょって言う
期待がそもそも皆無だから。

できるだけでもう天才ですよね?

 

赤ん坊がご飯をこぼさず食べた時に
「おお!やったね!」と思う感じです。

故にできないことをできないままで
放置することもできるし、できたら
出来たで「スゴイ!」と思えるのです。

 

ここまでしっかりとポンコツさを
受け入れられている人は少ないです。

どこかでポンコツさを誤魔化したり
なくなったら良いなと思う人が多い。

本当の事を言うと、この段階に来たら
別にポンコツかどうかすらも全く
問題でも喜びでもなくなってきます。

 

・・・

しかし、このようにポンコツさを
受け入れる事は簡単ではありません。

なぜなら、、、

−−−−−−−−−−

存在だけで受け入れてくれる環境

−−−−−−−−−−

が、ほとんどないからです。

どんな自分でもOKと思っている人が
集っている場でなければ、私たちは
ポンコツさの克服を勝手に自分自身に
期待して勝手になんとかしようとします。

 

仕事場で注意されたら直そうとするでしょ?

これも

「この場は、そういう事が許されない場に違いない」

と、自分で決めつけているからなだけですが、、、

とは言え、そういう場ばかりで
生活してきた人にはポンコツさを
受け入れることは簡単ではない。

 

なぜなら、、、

−−−−−−−−−−

私たちの性格はひとりでできてないから

−−−−−−−−−−

です。

 

私たちの性格を形作るのは、
習慣と関係性と姿勢です。

つまり、自分の性格は自分ひとりで
決定されるものではないのです。

 

例えば、仕事場での自分と、
家で一人の時の自分は違うでしょ?

もっと言うと、ご近所さんとの
人間関係が変わると自分も変わります。

多くの人が、自分ひとりで
自分に言い聞かせたり、
無理に思い込もうとして
自分を変えようとします。

しかし、それは簡単ではありません。

なぜなら、パズルのピースの片方だけで
全体を変えようとしているからです。

 

そうではなく、自分の望むような
考え方(姿勢)、関係性、習慣を
持っている人が多くいる場所に入る。

そうすれば、自然と自分のポンコツさも
他人のポンコツさも受け入れてお互いが
天才性を発揮できる関係性になってきます。

 

結局の所、私たちはひとりでは
生きていないですし、みんなで
一緒につながって生きています。

だからこそ、他人は自分だし自分は他人です。

もっと大きな視点でいうと
私たちというひとつの環境です。

 

ってことで、天才性を発揮したいなら、

「場をちゃんと選んだほうが良いよ♡」

という事が言いたかっただけです。

 

 

松井万理(バンビちゃん♡/メカニック)

 

 

 

追伸:

一方で、こんなレシピ..

「くだらねえなぁ」

とも感じています。

不完全な思考というものを駆使し
いくら知ろうとしても無理なんで。
(結局、今の思い込みが影響するからね♡)

 

そういう意味で全てのプロファイルは
役に立たないとも一方では思います。

しかし、あなたが天才性を
発揮できるようになってから
振り返る時にこれを知ってると
カナリ面白いという側面もあります。

 

そして、使えなくても知っておくこと
多少の希望にはなり得ると思います。

だから、私はウェルスプロファイルは大好きですよ♡

 

ほんじゃ!また!