マーケティング(セミナー)中毒

私は、職業柄いろいろな起業家
(もしくは起業を志す人)と
お話させていただく事が多いです。

そんな中、いつも不思議に思うのです。

多くの人が、、、

「マーケティングを学べば学ぶほど
 苦しくなっているように見える」

のです。

 

能力も、意欲もあり、行動してても
結果が出ててもなんだか窮屈そう…

なぜ、こんなことになるのか?

恐らく答えは意外ですし、
マーケティングセミナーでは
決して教えてくれない秘密があります。

その秘密とは何か?

答えは簡単です。

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マーケティング=奪う技術(狩猟民族的思考)

−−−−−−−−−−

だからです。

 

■アメリカ起源のマーケティング理論

現在ネットで流布されている
マーケティング理論はほぼ全て…

「アメリカ起源」

です。

ご存知のとおりアメリカは
狩猟型民族の文化が根強く…

「正しいことを黙っているのは臆病者」

というような信念が強くあります。

ですので、農耕民族たる日本人には
単純に「合わない」のです。

 

もちろん、それを駆使して
売上という結果を出す人もいます。

しかし、そのような攻撃的(獲得的)な
手法で集まった人たちは・・・

 

「依存的」

「獲得的」

「利己的」

 

です。

なぜなら、マーケティングのメッセージが
そのような人に刺さるメッセージだから。

もちろん、それが悪いわけではありません。

 

数字的に考えてみれば、そのような所謂。

「テイカー(奪いたい人)」

が、人口の7割以上を締めていますし、
ほとんどの人が・・・

 

・結果

・手に入るもの

・何を持つか?

 

にフォーカスしているので
頭数だけは大量に集まります。

ですので、マーケティングを学んで
上手く行った人も苦しむ事になります。

 

・運営でのクレーム

・教えても教えても実践しない

・エネルギー的に疲弊する

 

と言った事が起こります。

 

もちろん、これは悪ではありません。

世の中の9割はこれで機能しています。

故に、社員は疲弊し、離職する人
(逆にしがみつく人)が横行し、
陰口、不平不満は当たり前になります。

また、そういう環境(縁起)で、
そういう悪口噂話が共有されるので
不安はさらに強化されていきます。

所謂、美しいブランドを構築した
一部の企業を覗いてほとんどこれ。

有名だから、無名だから、会社規模の大小。

どれも全く関係ありません。

 

だからこそ、起業したての純粋な時に、
目の前の人としっかりと向き合って
価値を提供していこうとする人が、
このマーケティングを学んでブレるw

 

・こういう規模の大きい会社が言ってるし..

・こういう結果を出した人が言ってるし…

・こんな偉い人が言ってるし..

 

と、ブレる。

うーん、関係ないよ。

マジで全く関係ない。

 

こういう人って実は起業当初に
出会ってしっかりと向き合う事で
応援してくれた人たちが意外と
一番いいお客さんだったりする。

なぜなら、そこは純粋な動機で
集まった人たちだったから。

ま、このゼロイチの時点でマーケティングを
学んでから始めてしまってブランディングを
無視してしまっている人はそうじゃないけどw

※私は完全にこのゼロイチからマーケ学んでたタイプ

 

なんで、私の場合は今やっている..

「農耕型のメッセージ」

に、共感してくれるお客さまとの方が
一緒にいて心地よいと感じますね。

ということで、今流布している
マーケティングってのはあんまり
氣にしない方が良いと思います。

では、どうしたらいいのか?

農耕型民族にヒットするメッセージって
どんな感じのメッセージなのか?

そのヒントを少しシェアしますね。

 

■マーケティングvs共有の場

先程も申し上げたとおり..

「マーケティング=獲得の技術」

です。

市場シェアを“獲得”したり…
売上を“獲得”したり…
顧客(問題)を“作”ったり..

そうやって何かを得る事に
フォーカスし注力します。

市場をシェアという視点で切り取り、
経済を売上と言う視点で切り取り、
人間を顧客数と言う視点で切り取る。

 

それに対して・・・

「自分がただ嬉しい事、喜ばしい事を
 シェアする事で応援してもらう…」

これが共有の場です。

これは全体性を切り取らずに、
ただ自己を表現するだけ。

お客さまだろうがそうでなかろうが、
ただ分かち合う。

市場を経済という全体性の中で捉えたり、
売上を経済という全体性の中で捉えたり、
顧客を人間という全体性の中で捉える。

そうすることによって全体の豊かさが
共有され強化されて結果的に自分に
必要な資源は勝手に集まってきます。

 

お互いが、全て既に持っているという
前提ですので、惜しげもなく分かち合い
不等価交換が発生していくからです。

いただいたものよりほんの少し
上乗せしてお返しされ続けて
結局、みんなでみんな豊かになる。

狩猟型のマーケティングの方が、
ドラマチックでたくさんのお金を
劇的に稼いでいるように見えます。

しかし、本当に豊かなのは地域に
根ざした何十年も続く小さくて
地味だけどあったかい商店。

手間(商売のプロセス)そのものに
豊かさを感じているので、量を
氣にしていないようなお店ですね♡

 

このような健全な商売は、
まるでアートのようになります。

人に支えられ、一緒に生きます。

暮らしと仕事が融合して
美しい調和を織りなしています。

例えば、私のやっている自然農は
それそのものでお金を生み出しません。

しかし、その暮らしから学んだ
智慧がこのように共有されて
それが私に見合った程度の富
(お金)を引き寄せてくれます。

 

「お金が無くても生きていける」

とは言いません。
(ホントは自然と手間があれば生きていけるけど)

お金は便利ですからね。

しかし、お金に依存しすぎていると、
お金がないと生きていけないと感じ
必要以上に多くのお金が欲しくなる。

それに疲れている人が多のではないでしょうか?

 

■狩猟型のマーケティングからくる不安

狩猟民族は、その日に取った獲物を
その日のうちに食べて飲んで騒いで
ノリと勢いで日々を生活していきます。
(故に明るく活発な人物が多いです)

農耕民族は、半年や1年後の収穫に向け
日々粛々とその日のうちにやることを
こなして夜寝るのも早いです。
(故に、真面目で控えめな人が多いです)

どちらが良い悪いではありません。

現在のビジネスはほとんど狩猟型を
根底としていますので基本的に
不安や問題を強調します。

そして、私たちはそのような
メッセージを1日およそ3000も
受け取っていると言われています。

そりゃーーー不安になりますわなwww

※それが悪いわけではありません。

 

私は少し違った環境にいます。

今、私は自然農に1日およそ
6時間携わり、合間にこうやって
そこで学んだ事を表現しています。

※単に自分が嬉しいからです。

朝4時に起き、5時には田んぼに入り、
9時くらいまで野良仕事をします。

喫茶店でモーニングを食べて
仲間とともに智慧を分かち合い
10〜14時くらいまでは仕事や
お昼寝でゆっくりと過ごします。

そして、夕方15〜19時くらいまで
また野良仕事を粛々と行って
夕食を食べて22時くらいに寝ます。

暮らしと仕事が分離していません。

ここでは野良で学んだことを
シェアしているだけです。

ただ、違いがあるだけだと思います。

 

つまり、共有の場というのは、
何かを得ようとするのでなく..

「(共有によって)お互いに育む場」

です。

農耕民族の村はこうやって生計を
みんなで立てていました。

「不等価交換」

というのですが、例えば1上げたら
2以上を返して“あげたい”と言う
思いと、信頼関係でなりたちます。

これはいわゆる、、、

「返報性の法則」

ではあるのですが、ポイントは
ここに罪悪感や期待、コントロールが
介入せずにただの親切(思いやり)で
お返しし勝手に富が増えていく仕組み。

「プレゼントしたら相手が
 それ以上に返してくれる!」

なーんて、腹黒い期待を介入させず、
ただ、喜んで分かち合う関係を作る。

 

自然なんてそうじゃないですか?

一粒の籾を撒いたらそれが何百倍、
何千倍となって還ってきますよね。

なぜかというと、微生物、亡骸、
空気、水、熱の不等価交換性が
その富の膨らみを生み出すから。

で、微生物も、亡骸も虫たちも
他の植物もただ在るがままに在る。

 

自然って何でも無償で、
与えてくれてますよね。

タダ(無料)より高い物は無いって
文字通りホント無料が高価って事。

空気ってタダですよ。

水も本来はタダですよ。

熱もタダですよね。

眼球はタダなんですよ。

腕もタダですよ。

ホント全部満たされているなーって思います。

 

■奪う前提なのか?分かち合う前提なのか?

と、話はそれているのですが、
大切なのはこの前提。。。

「奪う前提なのか?分かち合う前提なのか?」

これです。

私もこうやってメールする時も
単に自分が学んで感じて幸せを
感じられる事を共有しているだけ。

「共有すれば強化される」

という自然の法則がありますので、
それに従ってやっているだけです。

それがどこにどう流れようが、
必ず自分に還ってきます。

 

むしろ放った瞬間に既に私たちの
心が豊かさを受け取っているのか
不安を受け取っているのかで結果は
決定されてしまっています。

もはや共有した瞬間に
自身の観念が強化されるから。

それで良いし、それが豊かなのです。

そうやって豊かさを享受し
膨らませているのです。

そうしていれば幾ばくかのお金を
分かち合ってくれる人が現れる。

そんな感覚で、プロセスを楽しみ
”共有”に付き合ってくれる人と
関係性を深め楽しんでいますよ♡

 

ってことで、マーケティングを
学んでも結果が出ない人は、
農耕型の自分を思い出して..

「マーケティングってものを
 ほどよい距離で利用してね♡」

マーケティングってのはあくまで
共有と拡張の技術でしかありません。

だから、不安のマーケティングは
あなたとお客さまの不安を強化し
幸福のマーケティングはあなたと
お客さまの幸福を強化します。

ぜひ、喜びを拡張してね♡

 

松井万理(バンビちゃん♡/メカニック)

 

追伸:

ま、自分もゴリゴリ狩猟型全開の
マーケティングをやってきたから
この農耕型の素晴らしさが分かる。

今回は敢えて分かりやすくするために
二項対立でお話させてもらったけど..

本当はどちらも大事で、全体性に沿った
「いい塩梅」が大切になります。

例えば、農耕でも間引きしたり
草を刈ったり間伐をしますよね。

そのように「破壊」も重要です。

※なぜなら亡骸の上に生があるから。

逆に、狩猟型でも保存したり調理したり
スキルを磨いたり、子育てをしてみたり、
「育み(創造)」も重要です。

なんで、塩梅。塩梅。

良い悪いなんて存在しないからね♡

 

追伸2:

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